黒子っち…、黒子っち…! 
何度も何度も、繰り返し呼ばれる名前。どこか飄々としたいつもの余裕はその声からはまったくといっていいほど感じられない。
こんなにも狼狽した黄瀬の姿を見るのはこれがはじめてではないだろうか。まだぼんやりとした頭の中で、黒子は目を覚ましたときのことを思い出していた。
 
ふわ、と意識が浮上する感覚とともに目をゆっくりと開いた黒子の視界に飛び込んできたのは、涙でぐしょぐしょに頬を濡らした黄瀬の顔だった。
不安げに揺れる琥珀色の瞳に、わけがわからず黒子はきょとんした表情を浮かべる。
ここがどこなのかわからない。なにがあったのか。
記憶の糸を辿るものの、部活後に火神とともに校門を出たところまでは覚えているが、そこから先の記憶がぷっつりとはさみで切り取られたかのように途切れていた。
「ここはどこですか……?いったいなにが、」
なにがあったんですか―?
そう問いかけようとした言葉は音になることなく、かき消されてしまう。あ、と声上げる暇も抵抗する間もなく、黄瀬の両腕の中に閉じ込められていた。
ぎゅう、と力強く黒子のからだを抱きしめる黄瀬の肩はガタガタと大きく震えている。
「よかった、本当によかった……ッ 」
歓喜と憂虞が入り交ざった表情を浮かべながら黄瀬はよかった、とただそれだけしか言わない。言えないのだった。
これでは拉致があかない。黒子が必殺イグナイトパンチいつものように黄瀬へと繰りだそうとしたその時のことだ。つん、と腕が引かれる。はっ、と、腕を見やると手首に点滴の針が刺さっていることに気がついた。
意識してみると、消毒液独特の匂いが鼻を刺激する。
そうしてようやく黒子は、自分がいるのが病院のベットの上だということに気がついた。

未だいつものようには働かない頭をなんとか働かせながら、黒子は信号を渡っていた自分の前に、一台の車が飛び出してきたことを薄ぼんやりと思い出していた。
ほんの僅かに頭が痛むのは、その時に頭を打ったからだろう。
車に轢かれそうになったとき、車のブレーキの音とともに、自分の名前を呼ぶ火神と、もうひとり、黄瀬の声が聞こえた気がする。
黄瀬の様子から判断するに、彼は黒子が轢かれるその瞬間を目撃してしまったのだろう。
背中が折れてしまうのではないか。
思わずそう思ってしまうほど強く抱きしめられて、ぎしぎしとからだがきしむのが自分でわかる。
でも黒子は抵抗しない。いや、抵抗することができなかったと言ったほうが正しいかもしれない。
逃げ出すことができなかったのだ。今、逃げ出してしまったら、彼は壊れてしまいそうな気がする。
大丈夫ですよ。
そう、声に出して安心させてあげたいのに、胸を圧迫されて思うように声を出すことができない。このまま離してもらうことができなければ、窒息死してしまうのではないだろうか。
黄瀬の腕の中で、そんなことを黒子は考える。
でも、例えもしこのまま自分が死んでしまっても黒子は構わない。これが退廃的な考えだとはわかっている。
だが、『愛する人の腕の中で逝くことができる』、それ以上に幸せなことはないのではないか。そう思ってしまうのは自分が死に直面したからだろうか。
そんなことをぼんやりと考えながら黒子がら抵抗せずにいると不意にからだをを拘束する腕の力が弱まる。
それと同時に、頭上から吐き出すような声が降ってきた。
「なんで…、なんで抵抗しないッスか……」
しぼり出すような、怒気を含んだ声に黒子が顔を上げると、先程以上に顔を苦しそうに歪めた黄瀬の顔がそこにはあった。
「どうして……、どうして、黒子っちはいつもそうなんっスか…………ッ」
黄瀬には黒子がわからない。どうして簡単に、彼は自分を受け入れるのか。今だって死にたくないと思わないのか。
黒子の頭に幾重にも巻かれた包帯が痛々しい。今はまだ安静にしていなければいけないとわかっている。わかっているのに詰め寄らずにはいられない。
黒子の胸ぐらを掴み引き寄せ、黄瀬は涙を流していた。ぽた、ぽた、と音を立てながらこぼれ落ちていく大粒の涙が、黒子の頬を濡らす。
「きせ、くん……?」
「本当、本当に怖かったんス」
車に跳ねられ、道路にからだを打ち付け、血を流す黒子の姿が今でも黄瀬の脳裏にまざまざと蘇ってくる。
幸いにも今回は軽く頭を打ったぐらいで済んだが、それは奇跡だったと言っても過言ではない。黒子にとっては少し怪我をしたぐらいかもしれないが、黄瀬は違う。
事故にあった当人より、そばに居て、でも何もできなかった人の恐怖は相当なものだ。
怖かった、怖かったのだと、置いて行かれるものの苦しみが、どれほどのものか。黒子なら、いや黒子だからこそ痛いほどわかる。
中学時代、変わっていってしまった青峰をはじめとしたキセキの世代が次々才能を開花させていく中で、チーム内で取り残されてしまった黒子なら。
「すいません……」
「俺には黒子っちが必要なんス……」
「はい」
「俺を一人にしないで……」
黒子の耳元で、黄瀬は懇願する。
「大丈夫、ちゃんと側にいます……」
ぽんぽん、とあやすように肩を叩きながら、優しく黒子が微笑みかけると、黄瀬はほっとした表情浮かべた。
そんな彼の表情を見つめながら、黒子は再び眠りの淵へと落ちていく。















「絶対ッスよ」

眠りに落ちた黒子を、黄瀬はベットに横たえると、頬に口づけながら呪いの言葉をささやくのだった。





END



2015/02/08