「黒子っち!」

ガチャ、という音ともに扉を開くと、声を上げる暇もなく黒子めがけて大きな身体が飛びついてきた。
う、と上げたうめき声と共に身体を引き寄せられ、視界に飛び込んできたのは今では見慣れた黄色の髪。
頬をくすぐる柔らかな髪から清潔感漂うシャンプーの匂いがほのかに漂ってくる。
ああ、またか―――。
黒子は心の中でつぶやくと、小さくため息を吐いた。

人の気も知らず、とはまさにこのことだろう。腕の中に包み込むように閉じ込める彼こそ、黒子テツヤの想い人である黄瀬涼太その人だ。
ぎゅうぎゅうと、まるでぬいぐるみを抱きしめるかのように抱きついてくるのは彼の通例行事となっている。
(懐かれたものですね…)
こんなにも、彼に自分が懐かれるとは思っていなかった。否、誰が今のこの状況を予想できただろう。
何がどうしてこうなって、こんなにも懐かれるに至ったのか、黒子にはわからないのだった。

ふと、不敵に笑う、絶対君主な赤髪の友人の顔が黒子の脳裏に思い浮かぶ。
唯一、予想できるとしたら 天帝の眼を持つ、赤司征十郎ぐらいに違いない。
だが、この場にいない友人のことを考えてもそれは単なる邪推でしかなく、今考えなければならないのは目の前の黄瀬のことだ。
抱きしめる腕の力は強く、自力で抜けだすのは難しい。
もぞもぞと身体ひねって動かしてみるもの、やはり抜け出せるわけがなく、部屋の奥に佇む、黄瀬のマネージャーである笠松に助けを求める視線を送ってみる。
大きな瞳がくるりと動いて黒子の姿を捉えると、申し訳なさそうに笠松は苦笑いを浮かべた。
(そうじゃなくて!)
助けて欲しいのだ、と、叫びたい気持ちをぐっと堪えて大きな息を吐き出すと、黄色の髪を見やる。
今こうしている間にも、黒子が自分に向けてどんな感情を抱いているか。それをもし知ったとしたなら彼はどんな表情をするのだろうか。
腕の中、ふと考えてみるが、想像できるのは軽蔑の眼差しで、今言えることは二つだけ。
こんなにも懐いてくれる彼を失望させたくない。そして、体格が違う上に、力の差も歴然で。
いつまでも力のまま抱きしめられていては苦しいということだ。
「黄瀬くん、離してください。苦しいです」
名前を呼んで、解放乞う。
すると、今まで見ているだけだった笠松が立ち上がり、声を上げた。

「ほら、黄瀬、いい加減離してやれ」
黒子に乞われ、笠松にも促され、そうしてやっと身体を拘束していた腕の力がゆるゆると抜けいく。
同時に、次第に身体を包んでいたぬくもりがすーと消えていくのを感じ、離れていく指先を名残惜しげに追いかけていくと、黄瀬と視線がぶつかり合った。
「お久しぶりっス」
撮影現場に来てくれないから寂しかったんスよ、と付け加えると、黒子に会えたこと嬉しそうに、にへらと頬を緩ませ、黄瀬は微笑みかけてきた。
切れ長の瞳が黒子の姿をまっすぐに囚えて離さない。どきりと心臓が跳ね上がる。
頬が熱くなるのを自覚し、黒子は顔を俯かせた。
社交辞令だ、という事はわかっている。わかっていても寂しいと付け加えられた彼の言葉に心震える。
無表情の下にひた隠ししているけれど、彼の一挙一動に一人舞い上がったり、落ち込んだりするのは彼に恋をしている証だ。

「こいつ、本当うるさかったんですよ」
黒子っちはまだか、もうそろそろ来るんじゃないか。
そう言っては扉のそばに貼り付き離れなかったと、ため息混じりに笠松は肩をすくめてみせた。
「ちょ、笠松さん!」
慌てたよう様子で恨めしく笠松を睨みつつ、チラッと黒子の表情を伺うように黄瀬は盗み見る。
そうなんですか、なんてことを言うことはしない。聞かなくても、笠松が告げた言葉が本当であることは黄瀬の態度から明らかだ。容易に想像できる情景に、苦笑いを浮かべると、黒子は小さく会釈をした。
「お待たせしてしまってすいませんでした」
ぺこりと小さく頭を下げると、申し訳なさそうにふるふると黄瀬は首を横に降る。
「いや、謝らないでくださいッス」
黒子が忙しいことぐらい黄瀬にだってわかっている。
出版業はその仕事自体が忙しない職種だ。従来の業務をこなしつつ、プラス映画化に伴う仕事に黒子が走り回っていることは黄瀬自身知っていて、ただ少しだけ、はしゃぎすぎてしまったのだ。

彼に耳と尻尾が生えていたとしたなら、しゅん、と叱られた子犬のように垂れ下がっていたに違いない。
見た目と、身体の大きさにそぐわぬその姿は、かっこいいというよりも、可愛いという表現の方が合う。
人懐っこい笑顔や、すぐにころころかわる表情は、本当に犬ようだな、と思うのだった。
黄瀬涼太という人間は、頭のてっぺんから足のつま先まで、彼の持つからだすべてを使って感情を表現する。
それは、紙の上の一枚ポスターでも、演技においても変わらない。
感情の起伏が少ない黒子は、そんな自分になないものをもつ彼が羨ましいのだ。
思わず手を伸ばしかけ、ふと黒子は我に変える。
何をしようとしていたのか、自分でも一瞬わからずに無意識に伸ばしていた手を瞬時に引っ込めた。
ぎゅっと、伸ばしかけた手をきつく握り締め、そっとその力を抜いていく。
代わりに、きゅっ、と唇を噛み締め、姿勢を正すと脇に抱えたファイルを差し出した。

「さて、仕事をしましょう」
小さく息を吐き出しながら、口元に弧を描いてみせる。
早く会社に帰って、次の会議の書類を作ら化ければいけないし、担当作家と原稿の打ち合わせだってしなければならない。
今日の仕事はこれだけではないのだ。
二人の視線が黒子に向くのを確認すると、改めて黒子は小さく会釈をした。
「お時間をとっていただきありがとうございました」
それでは今日の説明をしますね、と言葉尻に付け足しざっと今日の流れを説明していく。
と、言っても何てことない。説明とは名ばかりのもので、仕事自体はただの取材だ。
先ほど差し出したファイルの中には、今日の質問紙が入っている。
「本当は先生にも来てもらうはずだったんですが…」
見て分かる通り、今この場に緑間の姿はない。
『俺は関わらないと言ったはずだが?』
対談形式の取材の仕事を受けてくれないでしょうか、そう頼みに行った黒子が、完膚なきまでにはね返されたのはつい先日のことだ。
そのときの申し訳なさそうに苦笑いを浮かべる高尾の顔が今でも鮮明に蘇ってくる。
取り付く島なく、拒否された仕事はなくなることはなく、黄瀬と、作品をよく知る担当編集である黒子と対談に企画が摩り替わったのだった。
しかし、緑間か黒子かが変わっただけで、やることは何も変わらない。
ボイスレコーダーで会話を録音し、原稿として書き起こしたものを、後日チェックしてもらうだけの簡単なものである。
説明し終えると、黄瀬はきょとんとした表情を浮かべながら、黒子を見つめていた。

「それだけっスか?」
「え、あ、はい、それだけです」
そう告げると、黄瀬はぱちぱちと目をしばたかせる。
きょとんとした表情をうかべながら、大きく見開らかれ瞳に、黒子の姿が写り込んだ。
何かおかしなところがあっただろうか、と黒子が不安に思っていると、彼の瞳にみるみるうちに光が戻っていき、それと同時に恨めしそうに笠松を睨みつけた。
「笠松さん!」
泣き言の入った、なんとも頼りない叫び声をあける黄瀬に、笠松はおかしそうに肩を震わせる。
二人のやり取りのわけが分からず、黒子はきょとんとした表情で首を傾げるのだった。

理想の王子サマ 04

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2012/10/14